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ひむか共和国の話題

足りている暮らし

Posted on 2014-07-10

美郷町南郷 渡川地区

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「渡川ONE(ドガワン)の部屋というのがあるらしい。」美郷町の役場でそう聞いた。

閉校した渡川中学校の元校長室がそれである。約束の午後5時に訪れてみると、4人のメンバーが賑やかに迎えてくれた。応接セット、事務机、額、「きっと僕らの内申書も入ってるはずですよ…」という鍵付きの大きな開かずの書類庫。もしここが閉校されてからの9年間放置されたままだったらどんな様子だろうか?と想像しながら話を聴き始めた。
と、すぐに遅れて来たメンバーが入って来る。名刺を交換すると、薄い杉の板の名刺に書かれた肩書は「山師」、赤と白のツートーンのしゃれたデザインの名刺は「簡易郵便局長」。そうか、皆仕事上がりで集まってくれたんだと改めて思う。時刻は午後5時15分。
「でも…皆さん仕事は?もう終わったんですか?」
「だいたいこんなもんですよ。
夜は野球の練習もあるし、消防団もあるし、何も無けれは庭でバーベキューですよ。」
一同爆笑はしているものの、
それは案外誇張でないらしいという予感は数日後には確信になったのである。

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美郷町南郷の中心部から峠一つ隔てて、ダム湖と水の美しい渡川沿いにぽつんと開けた渡川地区は住民およそ300人、その内約100人が40歳以 下の若者と子ども達。超高齢化が進む県北の山間部にあって、この若者の多さは驚くべきこと。しかもそれはここ数年の間で起きた変化だという。この集落のど こにその秘密があるのか?その時には全く見当もつかなかった。

渡川の子ども達は高校進学と同時に村を出る。自宅から通学出来る範囲に高校が無いからである。その後も多くの卒業生たちは都市部に残り、村に戻ってくる若者は少ない時期が長く続いてきた。必然、子どもの数が減り9年前に中学校が閉校、5年前には小学校も閉校が決まった。

当時、盆や正月の度に集まっては故郷の未来を憂いていた若者たちは、小学校の閉校という村にとっては致命的な出来事に背中を押された形になる。特に結束力 の強かった昭和56年生まれの同窓生を中心に渡川ONEを立ち上げ、まずは閉校する渡川小学校の思い出のシンボルとしてTシャツを制作した。渡川が寂しく ならないようにと校庭に多くの鯉のぼりを架け、イベントを開催した。子ども達に渡川の自然の素晴らしさを知ってもらうために『渡川自然塾』を開いた。一世 代若いグループである青年団も当然協力する。父ちゃんや母ちゃんたちも引っ張られる。自然な流れとして村は活気づいていったのである。前後して都会にいた 若者が親の仕事を引き継ぐために帰ってくる、お嫁さんを連れてくる、子どもが増える。いつも笑いが絶えなくなる。
過疎化とか限界集落という言葉の暗さは、 ここには少しも感じられなくなった。

草野球の試合があると聴いて観戦に行く。お嫁さんや子ども達の後ろで、一球、一プレーごとに一番熱 心に声援を送っていたのは彼らのお母さん達であった。一点差のゲームに競り勝ちベンチに戻った瞬間、渡川ONEのリーダーでこのチームでもバッテリーを組 む上村太樹さんと黒木豪志さんの一声で祝勝会が決まる。公民館で焼肉、会費は千円。見事な統率とフットワークで30分後には乾杯、遅くまで賑やかな笑い声 が、谷間の村に響いた。

渡川の元気と活気の秘密、若者が輝いている理由は、結局分からないままだったが、渡川のファンになった事は確か。不思議に思う人は一度訪れてみると良い、そして出会った人に声をかけてみるといい。きっとすぐに友達になれる。
そしてこんな質問をしようとしていた自分が恥ずかしくなるに違いない。
「コンビニがなくて不便じゃないですか?」

いえいえ、これで十分足りているのです。

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