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ひむか共和国の話題

美々津のおてんばさん

Posted on 2014-07-10

美々津町

掃き清められた土間、畳が障子越しの光を渡し返す。

廻船問屋だった旧矢野家に今は『美々津軒』の暖簾がかかっているが、ここは旅館でも古民家カフェでも無い。
ただ、訪ねてくる人が、上がり框や縁側に腰掛けて、大正時代まで多くの人や上方の物で賑わった華やかな時代を想像したり、全く対照的な今の落ち着きに身をゆだねるだけの場所である。
そして、そんなゆったりとした時間を共に過ごしてくれるのが、この家の一人娘として生まれ、
「時代が時代ならお姫様だったのよ。ま、じゃじゃ馬姫だけどね」と笑う、佐藤久恵さん。その屈託の無い笑顔には、確かにおてんばなお嬢様の影がありました。

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久恵さんは現在一人暮らし。神武天皇がここ美々津から大和へ向けてお舟出したという『神武東遷』神話を再現した昭和15年の大事業『おきよ丸』の船長だった父、矢野源吉さんが戦死した後、母のミキエさんはここで、商店を営みながら一人娘の久恵さんを育てた。
廻船問屋の女将として豪傑だった夫を支えた母は、「朝は邪気を払うために玄関から表に向かって箒で掃き出す。夕方は福を招き入れるために裏口へ向かって掃き清めるのよ。」と教える細やかな女性でもあったが、生きる事を楽しむ大らかな人でもあった。

高校を卒業して宮崎の洋裁学校に進んだ久恵さんは、授業をさぼり、実習の材料費としてもらったお金で映画ばかり見て過ごすようなおてんばだったが、お母さんは卒業した娘に
「あんたが縫った物は結局一つも見れんかった。」と笑ってくれたそう。

そのおてんばさんは結婚し三人の男の子を授かった。その後この実家に戻ってお母さんと同じく女手で、しかも大らかに三人の独立を見送った。

時代は昭和から平成に、美々津の町もかつての賑わいの影もなくなり、いつか生まれ育ったこの旧家に自分一人となったが、寂しいと感じた事は一度も無い。

か えって生来のおてんばに翼が生えたようなもの、六十歳をすぎてからは自分で車を運転し、一人でドライブ旅を楽しむようになった。予定を決めず、宿も予約せ ず、高速にも乗らず、ナビも使わず、最も遠い時は秋田まで行ったというから驚く。行き当たりばったり、出会った人とふれあって、外から自分の生活を見返し てみる。美々津の良さがよくわかる。
「日頃はあまり連絡を取らない息子たちも、旅に出るとさすがに心配して電話をかけてきますよ、孫にかけさせてるんですけどね、うふふ‥‥」

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「旅は心を豊かにしてくれる」

だからこの家を訪れる旅人の気持ちもよくわかる。
心に何か抱えている人も、疲れている人も見れば分かる。でもここではただ一緒にお茶を飲んで、のんびりすればそれでいい。時に話が終わらなくなったら向かいのカフェでコーヒーを飲む。
何度も訪ねてきてて、すっかり友達になった女性にさそわれて、今度は青春18きっぷでの電車旅に挑戦しようと思っている。
「もしも車が運転できなくなった時のための練習ね‥‥でも、その人の名前は知らんとよ。」
「え?」
また来てくれるから名前を聞く必要はないそうだ。

そういえば、僕も最後まで「あなた」のまま、向かいのカフェでコーヒーまでおごっていただいた。別れ際にお礼を述べると久恵さんの挨拶は
「はい、また会います。」だった。

くるりと向こうを向いて軽快に歩いて行く後ろ姿はまさにおてんばなお嬢さん。

「旅が私の仕事」
なるほど、なるほど。

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